発達障害ってなんなん?(0歳から卒園まで)

もう、最近頭の中はこの言葉で占められてます。

 

発達障害ってなんなん?

 

家で一緒に過ごしている分には、ちょっと落ち着きがなくて切り替えが下手だけど、まあ小1ならこんなもんかな、って思える普通のダンスィ。

でも、学校という集団の中に入っていくと全くそこに適応できない問題児。

そんな息子の育児の悩みを吐き出す場所が欲しくてブログを書くことにしました。

記録にもなるしちょうどいいかなと思って。

ただ、息子にとってはめちゃくちゃセンシティブな個人情報でもあるため、特定できないようにぼかしたりフェイク入れたりしますね。

 

 

 

 

息子の発達

 

出産予定日から10日以上経っても出てくる気配もなかった息子、これ以上予定日すぎちゃうと危ないからと、陣痛誘発剤を使用して出産することになりました。

予想体重は3500gで、看護師さんから大きいね~と言われていました。

朝に点滴を打ち、夕方ごろに出産。出てきた赤ちゃんは超元気。

そして体重は4000g超えてました。

同じ日に産まれた別の赤ちゃんの隣に寝かされると、二回りくらいでかかった…。

助産師さんに「無事に下から出てきてよかったね~。こんなに大きいとは思わなかった。お母さんの体型が良かったのかしらw」と笑いながら言われ、若干イラっとしつつ。どうせ尻デカ安産型だわ。

 

そのあとの発達は、普通か普通よりちょっと遅いくらい。

首すわり4か月、寝返り6か月、一人歩き1歳2か月。

言葉は割と早くて、1歳0か月で「ママ」。1歳1か月で「ママ」「わんわん」「アンパン」「まんま」「いや」など、複数の単語を使う。1歳6か月で「まんま、いやー」と二語文。

 

逆に、丸を書くのは遅かったかな。三歳健診でギリ丸をかけてほっとした感じ。手先もあまり器用なほうじゃなかったと思うけど、積み木積みなどは人並み。

 

1歳ごろから、車・電車などに興味を示し始める。2歳で電車の図鑑を丸暗記。

この子天才かよとその時は思ってたけど、これも今考えると特性の一つだったんだよなあ。

車より電車派で、プラレール大好き。でも、自分でレールを組んでプラレールを走らせて遊ぶことよりは、電車の図鑑を見ているほうが好きなタイプだった。

 

話は戻って、息子は0歳クラスから保育園に通わせていた。

クラスの中ではずーっと一回り大きい息子。ご飯もよく食べ、よく寝て、保育園への域渋りもほとんどなく、3歳くらいまでは育てやすく預けやすい子供だった。

保育園へ迎えに行くと、一人でブロックやプラレールで遊んでいたり、先生に遊んでもらっていたりする姿ばかり。ほかのお友達とあまり遊ばない。

 

低年齢の時期はそれも普通かな、と思っていたんだけど、年小くらいになるとまず女の子にコミュニティができ始めてくる。男の子も、仲のいい子が出てくる。

でも、息子はまだ特別に仲のいい子はいなかった。一人遊びか、たまにグループに入れてもらってる感じ。

 

そして同時期、お遊戯会や運動会の集団行動が、「みんなはできてるけどうちの息子だけなんかできてない」という事案が出てくる。

先生の隣の位置にしてもらい、先生に誘導をしてもらってなんとかついて行ってる感じ。それでも、去年よりはできてる。誘導してもらいながらなんとか踊ったり走ったりできてる。モヤっとしながらも、まだ我が子の成長を喜べてた。

でも、親としてなんとなく違和感を感じて、ネットで発達障害のことを調べて、「クレーン現象もエラコリアも無かった。発語も早かったしブロックを並べたりもしてない。大丈夫、発達障害じゃない」と自分を安心させてた。

 

年中になると、急にみんな集団行動し始めるようになる。

子供のグループはさらに顕著になっていき、息子の孤立が目立つようになる。しかし、息子は我関せずでしれっとしてる。

「みんなと遊ばないの?」と聞いても、「ひとりで遊ぶほうが好き」と言っていて、そういうタイプなのかなと思いながらもやはり若干の不安。

一番わかりやすいのは挨拶だったな。

とにかく挨拶ができなくて、「おはようは?」「いただきますは?」「さようならは?」と毎日のように促すが、自主的に挨拶することはほぼ無い。見慣れたクラスメイトにも、大好きな先生にも。

そして心配はコミュニケーションだけではなかった。

絵である。

とにかく、息子は絵がへたくそ。3歳でまだ顔のようなものを描けず、丸がせいぜい。4歳でようやく人っぽいものを描くようになるけど、それも棒人間みたいなやつ。

苦手意識があるのか、誰かにからかわれたのか、絵を描くことが好きではなく、家でお絵かき遊びはほとんどしたことがない。保育園でどうしても描かなければいけない時に、1分くらいでぱぱっと適当に描いて済ませちゃう。

それに反して、文字を覚えることは得意だった。私はあまり教育熱心な母親ではないので、文字を積極的に教えたりしたことはなかったんだけど、2歳で数字、3歳でひらがな・カタカナ・アルファベットを読めるようになっていた。

まあ、特別早くはないかもしれないけど、私が知らないうちに文字を覚え、いつの間にか勝手に本を読むようになってびっくりした記憶がある。

集団行動は相変わらず苦手。運動会は完全にしぶしぶ(それでも、できてはいた)。お遊戯会はまあそれなり。

そして「やっぱり普通の子と少し違う。違和感がある」と思い、保育園の担任の先生に相談をしました。

年中の冬の終わりのことでした。

 

先生はちょっと深刻な顔をして、

「そうだね、息子君はもしかしたら発達がグレーゾーンかもしれない。運動会やお遊戯会の練習はほとんど参加できてなかった。みんなで遊びに行くときも、一人で図鑑を読んでいて行けない時もあった。どこかに相談したほうがいいと思う」

と言いました。

 

その時、私は初めて運動会やお遊戯会の練習に参加できていなかったことを知ったっていう…。いやほんと、能天気だよね。普通にやってるもんだと思ってた。

だって、やる気はなかったしちょっとリズムがずれてたりしてたけど、できてたんだもん。セリフだってちゃんと言ってた。

 

「え…参加できてなかったんですか?」

「そうそう。息子君って頭いいじゃん。一回で流れを全部覚えて、もうそれから全然参加できてなかったんだよね」

「マジですか…。知らなかった」

 

言ってよ! 先生言ってよーーーー! そしたらもっと早く気づいて、もっと早く療育に繋げられたかもしれないのに!!

しばらく、なんでもっと早く「息子の発達に違和感がある」と言ってくれなかったんだ!

…と、保育園の先生を恨んだこともあったけど、よく考えるとこんなこと、親から言われないと先生からは言えないよね。

もし先生から言ったとして、私がそういうことを認めない系の親だったら絶対保育園に文句言うもん。

モンペが社会問題になってる昨今、発達のことを先生から親に言うことってほとんどないみたい。親から聞いていかないといけない。

違和感に気づいた年少のころ、もっと早く保育園の先生に相談してれば…。結構これ、今でも後悔してます。

 

ちなみに、三歳健診の時に保健士さんに相談したのですが、「発語もあるし目も合うし、この子は大丈夫よ~」と言われ、先輩ママさんにも「男の子なんてこんなものよ!」と励まされ、すっかり私もその気になってたんだよね。

違和感に気づいたときにさっさと担任に相談すべきでした。だって、保健士さんや先輩ママなんかより毎日息子の面倒をみてくださってた保育園の先生が一番息子のことをわかってるのにね。

 

発達相談

 

先生との面談後、すぐにネットで発達相談ができるところを調べました。

自治体の施設で発達相談ができるとのことで、すぐに電話。

 

その時は知らなかったんだけど、発達障害のすべて。なにもかもが予約でいっぱい。満員。時間がかかる。とにかく需要と供給がまだまだ見合ってない。

 

「予約が取れるのは2か月後の金曜日ですね~」

 

そして、すべてが平日である。

 

保育園に預けていたことでも分かると思いますが、うちは共働き。

もう、語る順番前後して申し訳ないですが、息子が年少の時に妹が産まれてまして、このころまだ育休中でした。

しかし、2か月後の金曜だと年度をまたぎ、私は職場復帰してすぐくらいになる。

「は? そんなに待つの? 復帰してすぐに有給取るの? は?」と思いましたが、ぐっと言葉を飲み込み予約をお願いしました。

 

それから2か月モヤモヤして、ずーっと発達障害について検索してましたね…。

いろんなサイトを見て心を痛めて嫌な想像をして、どん底でした。ほんと精神的に良くないよね、検索。

子供寝かしつけた後何時間も検索して、同じ発達障害の子を持つ人のブログ読み漁って…。もちろん、知識がついてよかったですけど。

 

発達相談の日、上司に「子供の健診なので」とぼんやりとした説明をして半休を取り、息子を保育園に迎えに行って二人で自治体の施設へ。

施設の一部屋に案内してもらうと、そこはキッズスペースのようになっていて、スタッフさんが子供を見てくださり、私は心理士の先生とお話するという感じ。

 

いくつかの質問に答えた後、「発達外来にかかったほうがいい」と、あっという間に結論が出ました。

 

「ただし、発達外来は3~4か月待ちです」

 

で、ですよね~……。

発達外来は待ちに待つとはなんとなく知っていたけど、やっぱそうだよね。

 

4か月後。

つまり、年長の夏です。

あまりに遠いです。

またずっとモヤモヤしなければいけないのか…。この2か月ですっかり検索に飽きてしまった私は絶望しました。

診察を待つ間に何かしたほうがいいか? と、心理士さんに質問すると、

「療育をしてみるといいよ。自治体の役所に行ったら療育の受給者証がもらえるから」

とのこと。

 

相談はそのくらいの情報を得て終わり、発達外来に連絡するとやはり予約は4か月後。

心理士さんがあらかじめ言ってくださったおかげで、せっかちな私でも心静かに予約を取れました。

同時に自治体の福祉課に連絡をし、受給者証の取得についての説明を受けました。

やはり一度役所へ行かなければいけないらしく、ここでもまた有休を取らなければならず。

娘が保育園に入ったばかりでもあり、熱でも何度も呼び出しされていたため、ほんと有休を取るのつらかったな。復帰したてで迷惑かけまくり…。

でも、背に腹は代えられず。

仕事はあと何十年も続くからいくらでも恩返しできるけど、息子の発達はここですすめていかなきゃ息子の一生にかかわる可能性もあるもんね。

 

役所の福祉課の方は、事務的だけど親切にわかりやすく書類の書き方を教えてくださり、受給者証はけっこうあっさりと取得できました。

だけど、ここからが大変だった。

 

 

療育施設探し

 

療育施設が!!!!

空いてない!!!!!!!!!

 

どこも空いてない。びっくりするくらい。

探し始めたのが年長なのはどうやら遅いみたい。

自治体からもらったパンフレットに載ってる療育施設にかたっぱしから電話したけど、まったく見学までたどり着けず…。

ほんと、びっくりするくらい…。

こちらの条件が、「土日のどちらかに通えるところ」だったのが多分敗因。

だって、毎週平日半休取るとか絶対有休足りないもん…。いくら計算しても足りない。娘もまだ1歳で保育園に入ったばかりだし、突然休みを取らなきゃいけない日も絶対あるから、毎回有休取るなんてむりむりむりのかたつむり。

 

で、隣町とか隣の隣の町とかの施設にも連絡をして、2施設見学できたけど、電話では「空いてますよ」と言われても、いざ見学に行くと希望の空きがなかったり平日しかだめって言われたり。

あの…、見学するために有休取ったのに。

電話であるって、土曜に空きがあるって言ったじゃん!

パンフレットだけが溜まっていく。

夜中にPC開いて目ェかっぴらいで検索しまくってる私を見かねて、夫が「俺と半分ずつ有休取る?」と言ってくれて、一瞬「マジで?!」と思ったけど、現実的じゃない。

夫、デスマーチありますやん。納期前、休むどころか帰ってこれるかもわからない時期ありますやん。

そんな時期に有休取れます? 取れませんでしょ。無理はするな。でも気持ちがありがたい。最終手段はそれにしよう。もう少し探してみる。

 

そして、たぶん電話だけで数えたら50件くらいしたと思う。

一度電話をして断られた療育施設のHPを見ていると、新たな施設が新設されるという情報が載っていて速攻で電話で聞いてみると、

「はい、来月から開所します。まだ土曜日空きあります」……と!

よかったーーーーー!!!

全国展開している療育施設で、電話口の対応も感じがいい。早速見学を申し込むと、土曜の見学にしてくださりさらにありがたし。

見学に行くと、

「まだできたばかりで、息子君くらいの年頃の子が少なく、希望されている集団療育はできないかもしれません」

と言われました。

コミュニケーション能力が低い息子には集団・小集団療育を受けさせたかったのだけど、仕方ない。

困りごとはコミュニケーションだけではなく、切り替えの下手さとか、手先の不器用さとか個別療育でフォローしていただけることもあったため、その療育施設にお世話になることにしました。

 

療育施設が決まったのは、受給者証をいただいてから2か月後のことでした。

 

あー、私がんばった。けど、まだただのスタート。第一歩踏み出しただけだ。

 

 

療育

 

療育は、まずは週一回、土曜日の1時間のみ。

もし増やしたほうがよさそうなら、夫婦で有休取れるタイミングで空きがあればお願いするということになりました。

 

療育を初めて思ったこと。

 

プロってすげえ。

 

いえ、療育の中身じゃないんです。

正直、週一で一時間やって意味があるのかしら? と疑問を持ちつつ通っていたふしはあります。

こんなことで息子の苦手を少しでも克服できるようになるのかな?

 

なにがすごいかって、絶対に息子を否定しない。とにかくほめにほめる。息子のすべてに付き合ってくれる。肯定の嵐。

 

面倒くさがりな息子は、行きしぶりというほどではないにしろ、あまり積極的に療育に行きたがることはなかったのですが、施設に入ってしまえばたくさんほめてもらえるし構ってもらえるからうれしかったみたい。

そして、私もかなり勉強になった。

そのころには人並みに本を読んだりして、発達障害の子供への接し方を勉強していた私ですが、どの本にも「自己肯定感をあげてあげること」「ほめてあげること」と書いてある。

発達障碍児は周りに比べてできないことが多いから、自己肯定感が低くなりがちで、そうなってしまうとうつなどの二次障害を引き起こしかねないらしい。

 

もうね、療育の先生は息子がちゃんと椅子に座ってられなくても、与えられた課題にまったく取り組めなくても、とにかくできたことを見つけてほめる。そして、見てるこっちがやきもきするくらいに課題を強制しない。やらなくてもいい。

 

「やらなくては療育にならないのでは?」

「ちゃんと座っていられる子になってほしいのに、座らせないのはなぜ?」

 

そう思いながらも、私は素人で向こうは玄人。よほどのことがないかぎり、口出しはしないほうがいいだろうと、黙って見学し、先生の真似をして帰りの車でほんの少しできたこと、ほんの少し参加できたことをほめまくりました。

 

それが良かったのか、単に慣れてくれたのか、両方か。

数か月経つ頃にはほとんど座って課題をこなせるようになりましたね。調子悪いときは相変わらずでしたけど。

 

6月から3月まで、たった8か月。

正直息子が変わったとは思えなかったけど、私が成長できたのは良かったのかも。

今でも、息子にイラっとしたとき、療育の先生の言動を頭に思い浮かべ、怒りを飲み込むようにしています。

 

 

発達外来

さて、順番は前後しますが息子年長の8月。

ようやく発達外来の門をくぐりました。先生に相談してからはや半年。待ちに待ち、気合を入れて行きました。

そして先生からいくつか質問を受けたあと、先生は息子に向き合いました。

「これできる?」

先生は右手の平を下、左手の平を上にして、その手のひらを交互に上にしたり下にしたり。それを息子にまねをさせました。

息子はまあ、普通にできました。

「おたまじゃくしが大きくなったら何になるか知ってる?」

「カエルでしょ?」

「ひよこが大きくなったら」

「にわとり」

「OK。じゃあ、ちょっとあっちで絵を描いてきて」

看護師さんが息子を別室に連れて行ったあと、先生はあっけらかんと言いました。

 

「いわゆる自閉症スペクトラムですね」

 

私は息を飲み、先生に気づかれないように吐き出しました。

 

「そうですか。私はADHDだと思っていました」

「それも併発しているのでしょう。発達障害といっても一つじゃない。いくつも重なり合っているのが特性。息子君は自閉症スペクトラムADHDがかぶさっている、そういう特性ですね」

「……」

「たとえばさきほども、私の話をさえぎって息子君は全然違う話を話し始めました。いわゆる空気をを読まずに自分の思ったことを話し始めるのは大きな特徴ですし、靴を既定のところに神経質に並べていたのもこだわりの一つでしょう。こういうこだわりがあることも特徴の一つです」

「…そうですか」

「息子君は年長でしたよね」

「はい」

「お母さん、ここに来るのがちょっと早かったね。まだそんなに困ってないでしょ」

「まあ、正直そうですね。家では切り替えは下手だけど指示は通りますし、保育園では集団行動は苦手ですし一人でいることが好きではありますが、友達と全く話さないわけではないし、いっしょに遊ぶこともあります」

「小学校での様子が知りたいなあ。たぶん、困るとしたら小学校からだから。小学校に入って様子が分かって…そうだな、夏休みに入ってからでいいから、また診察に来てください。検査はそれからでいいでしょう」

「はあ、わかりました」

 

初診はこのような感じでした。

はっきりと診断書が出たわけではないけれど、先生の口から出た「自閉症スペクトラム」と「ADHD」という言葉。

診断を受けたらショックを受けるだろうな~と思っていたのですが、全然そんなことありませんでした。

腑に落ちたというか。

「まあ、そうなんだろうな」と思っていたからかもしれないけど。

 

小学校に上がるまでは、こんな感じで時間が過ぎていきました。

 

 

卒園式

診察に行って言われたことを、私は保育園の担任の先生と共有しました。

年長の担任の先生は年中さんのときから変わったのですが、うちの息子はその先生のことが大好きで、私も信用できる先生だと感じていました。

先生は息子の発達のことに関し、「息子の好きにさせてあげる」という方針を取ったようです。

私としては正直、集団の中に入っていけるようにビシバシ言ってくれないかな~と最初は思っていたのですが、療育の先生のやり方とか、本やネットで知識が増えていくたびに、ビシバシ言うよりは良かったのかもしれないと思い直していました。

最後の運動会やお遊戯会も、相変わらず普通に参加することはできていなかったみたいですが、物覚えは早いやつなのでなんとかダンスや劇・合奏をこなすことができました。

しかし、最後の最後。

卒園式は難関でした。

まず、時間が長い。

園長先生や来賓の話をおとなしくすわって聞いてなきゃいけない。

卒園生の最後の言葉が長く難しい。

そして、順番に全員が卒園証書をもらわなきゃいけない。

 

年中のころはそこまでじゃなかったADHDの特性が、年長になってから強く出るようになってしまっていた息子にとって、まさに苦手のオンパレード。

練習もまともに参加できてない。

そして、ほかの子のためにも、卒園式を成功させなきゃいけない。だって、最後の晴れ姿。保護者や来賓、在園生みんなの前で6年間の集大成を見せなきゃいけない。

 

そして予行練習前、先生に呼び出されました。

 

「あの、息子君のことなんですが、たぶん園長先生の話や来賓の話をちゃんと座って聞けるか微妙だと思うんです。なので予行練習の時、息子君が卒園証書をもらった後、少し休憩を取らせてみたいんです。息子君の好きな先生と一緒に別室に移動してもらって、休憩して、卒園生の言葉の時に戻ってくる感じで。もしそれでうまくいけば、本番もそうさせてもらいたいんです」

「はい。お願いします。いろいろ考えてくださってありがとうございます」

 

私が2つ返事すると、先生はかなりホッとされてました。もしかしたら断られるかも、と思っていたのかも。

でも、先生の申し出に私はとてもホッとしたんだよね。

正直、息子が卒園式でフラフラする姿をほかの保護者に見られたくなかったし、みなさんのビデオカメラにそんな映り込みしたくなかったし、なにより、せっかく6年間お世話になりまくった保育園の卒園式、成功させたい。

 

結果的にそれはとてもうまくいって、息子は証書をもらうまではすこしゆらゆらしていたけど座っていられたし、戻ってきてからの卒園生の言葉や歌もこなしてた。

私も単純に感動できた。

素敵な写真もたくさん撮れた。ちゃんと卒園できた。

先生ありがとう。